クロチェッティ美術館訪問記


美術館の外観
 ローマ中心部より5キロ程北のカッシァ通りに面したクロチェッティ美術館は彼が生前より、もともとアトリエと住まいのあった所に建設しようと自ら設計して計画を進めた。


展示室内
 生前の2002年に一応の開館をみるも、その後クロチェッティは脳梗塞がきっかけで体調を崩し、翌2003年に逝去。そして2004年6月から美術館としての本格的な活動を開始した。現在ブロンズ作品160点ほどを収蔵し、「岸辺の娘」や「平和の若い騎士」、「サンピエトロ大聖堂の門扉のレリーフ(秘蹟の扉)」などの代表作80点ほどが常陳されている。石造り2階建ての美術館には5つの常設室と集会室および地下の礼拝室などがある。黄色い外壁の個性的なアトリエも当時のままを保存して公開されていて、制作中の様子を感じ取れるようになっている。自らの設計による地下の礼拝室には、自刻像を中心にアッシジのサンフランチェスコ教会のために制作したものと同様の6人の天使による燭台や十字架、大理石彫刻およびレリーフがあり、作家の敬虔なる精神性の一端を垣間見ることができる。

左:地下の礼拝堂 右:アトリエの外観


中庭に立つ聖ミカエルの像
彫刻家として、自分の作品を後世に残したいという願いは当然理解できることだが、彼の作品への愛情は人一倍だったようである。

クロチェッティは、前述のとおり2歳で母を、12歳で父を失い、2人の妹のうち1人をその直後に失い、孤児となった。そういう境遇もあってか、彼は生涯家庭をもとうとはしなかった。自分の死後、家族が残されることを考えるといたたまれなかったのかもしれない。そんな孤高の彫刻家にとってどうしてもこの世に残して逝かなければならなかった、かけがえのない遺族、それが彼の精魂傾けた作品群だったのかもしれない。その遺族の落ち着き先を熟慮しての美術館建設だったという見方もできる。

絶作となった大レリーフの石膏原型
 もともとのアトリエと住まいを基本として、まだ作家が存命中に建設された美術館には、彫刻と日々を送った作家の手垢を感じる。当時のまま保存されているアトリエは、クロチェッティ愛用の椅子のぬくもりが感じられるほどで、彼を身近に感じ、対話を楽しめる空間となっている。粘土で制作中の作品(写真右上)や石膏原型にリタッチ(付加的制作)を施している途中の大レリーフと足場など、ついさっきまでクロチェッティがそこで仕事をしていたかと思わせるほど、しっかりとした保存がなされている。

 実に70年以上もの長きにわたって、彫刻と共に生きたクロチェッティの息遣いが聴こえる空間として、この美術館の存在意義は大きい。

2006.1/24-27の訪問を通して
鹿児島市立美術館 学芸員 野添 浩一

※本文はクロチェッティ展(2006年7月19日─8月31日 鹿児島市立美術館)図録より抜粋。

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